福良本陣跡地 |
会津戦争と福良本陣
慶応四年五月一日(1868年6月20日) に行われた白河口戦の再戦で会津藩軍は大敗を期して白河口から撤退。
白河小峰城は新政府軍の手に落ちた。
新選組では伊藤鉄五郎が戦死して後方の勢至堂峠まで退却した。
その後、会津軍および新選組は何度か白河小峰城の奪還を試みるが成功せず六月初めに猪苗代湖南の福良に転陣する。
島田魁は福良本陣からすぐの千手院で療養している。
福良には松平容保の養子で新藩主の喜徳が出張しており新選組と謁見して激励した。
そして同じくけがの為療養中だった土方歳三も、福良で新選組と合流をした。
福良本陣跡
白河小峰城から猪苗代湖へ向けて白河街道を北上し、猪苗代湖の南に福良本陣跡は位置する。
現在は住宅地が並び、住宅と住宅の細い路地の前伊「福良御本陣跡 入口」という細い棒が立っている。
小路を抜けると開けた土地があり、祠と石碑がある。
一見すると民家の様で立ち入るのに気が引けるが、史学科の学生が頻繁に来るらしく近隣の人は慣れている模様。
史跡情報
所在地:福島県郡山市湖南町福良荒町
駐車場はないがすぐ近くに自動販売機が並ぶ休憩所があるのでそこに駐車することが可能
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